朝鮮人英霊顕彰碑




平成13年6月定例会
◆(岡崎源太朗議員) 私は、誠心会を代表して質問させてもらいます。
 21世紀最初の代表質問になりますから、世代と国境を越えた質問をさせてもらいます。
 まず1番に、朝鮮人英霊顕彰碑について質問いたします。
 誠心会はことし2月、知覧陸軍特攻基地を視察いたしました。特攻兵のほとんどが20歳前後であり、生命と肉親の情を断ち切って祖国防衛に殉じた姿は、だれしもが感銘を受けます。特攻作戦については方法に疑問を持たれる方もおられます。しかし、もしアフリカでライオンの群れに襲われたとき、普通のおやじなら家族を守るためにライオンに向かっていくのが当たり前ではないでしょうか。先頭の一頭をめった刺しにしてやれば、ひょっとしたら相手がひるむのではないかと思えば、逆に足が前に出ると思います。当時、敵はアメリカ一国ではなく、今の国連常任理事国すべてと戦っていました。ライオンよりもっと悪い立場だったと思います。
 特攻攻撃が米軍に与えた精神的影響は大きく、日本を占領してもダイナマイトを腹に巻いたゲリラがいつ突っ込んでくるかわからない恐怖は、日本を植民地にすることができませんでした。日の丸の中にアメリカの星がないのも、ロシアのトンカチがないのも、6,000人の特攻兵と246万人の日本兵の肉弾攻撃の賜物であります。北朝鮮、ベトナム、アフガニスタン、イラクが最新兵器を備えた白人から国を守ることができたのは、自己を犠牲にしても国を守る日本精神がアジアの人の心に響いたことにあります。
 陸軍特攻基地から出撃し散華した1,028人の中に朝鮮出身者が14人います。それだけでなく、大東亜戦争で日本軍として戦った朝鮮人青年は24万2,341人、そのうち2万2,182人が病・戦死しました。朝鮮人最初の戦死者は李仁錫(イ・インスク)上等兵です。「李一等兵、今出ては危ない」と制止する分隊長の声を聞きながら、身近に迫ってきた敵兵に銃剣をかざして飛び込もうとした瞬間、惜しくも手りゅう弾の爆片を受け、その場に倒れ、ついに最期を知るや戦友の手にとられ、「天皇陛下、万歳」を奉唱して半島志願兵最初の戦死を遂げました。
 戦後も、連合軍によるインチキ裁判によって戦犯として処刑された1,078人の中に、23の朝鮮人と21人の台湾人が含まれています。オランダ人捕虜を監視していた19歳の朴青年は、オランダ人捕虜の食事が粗末だったという理由で銃殺刑になりました。日本軍と同じ食事を出しただけなのにです。裁判の中で、「アジアは独立します。日本の勝ちです。おかげで朝鮮も独立できます」と言い、「大韓国独立万歳」を叫びながら、銃殺刑による立派な最期を遂げました。
 朝鮮人、台湾人の英霊は、日本人と一緒に靖国神社に祭られています。戦友とともに祭られるのは本望でしょう。しかし、異国の地で違う宗教で祭られたのでは心からの供養にならないのではないかと思います。朝鮮人、台湾人は、日本のためではなく、アジアの独立のために戦いました。やはり母国において、同じ民族から民族の誇りとして花を供えてもらうことが大切です。また靖国神社は、他国の遺族にとって訪れやすいところではありません。台湾には、日本軍人として戦死した3万3,000人の英霊を祭る和平英魂観音亭が平成2年に建てられました。その横には、李登輝総統の書いた霊安故郷の碑も建っています。靖国神社に李登輝総統のお兄さんも祭られていますが、将校だった李総統は、遺族としても部下の霊の前にも参拝できないからです。台湾には和平英魂観音亭がありますが、韓半島には顕彰碑は建っていません。
 この際、最も恩恵を受けた日本が韓半島に顕彰碑を建立すべきだと思いますが、靖国神社の公式参拝に右往左往するような腰抜け政府にできようはずがありません。ここは、英霊の気持ちがわかる海軍のまちである呉市と姉妹縁組を結んだ韓国の鎮海市の両市が協力する以外に顕彰碑は建てられません。
 もちろん呉市が税金を投入して顕彰碑を建立することは、法律的に難しく、供養につながりません。しかし、民間団体が国家の壁を超えて顕彰碑を建立することはもっと難しいでしょう。とすれば、両市が民間団体と協力をしながら、実現に向けていくしかないと思われます。
 来年は市制100周年を迎えます。100周年の祭り騒ぎより、国の礎となった英霊を顕彰することが大切であり、両国の架け橋となっていただくことが、両国の理解と呉市の無限なる発展につながります。顕彰碑の可能性について、呉市の真心をお尋ねします。


◎総務部長(堀久真) 私の方からは、1番目の御質問にお答えさせていただきます。
 顕彰碑についてのお尋ねがございました。
 この件につきましては、国家間の大変大きな問題と理解しております。したがいまして、現在のところ、市として見解をどうのこうのいうことで申し上げる立場にはございません。このように理解しておりますので、その点で御理解願いたいと思います。


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◆(岡崎源太朗議員) まず、100周年事業についてでございますが、表現力に乏しいために心にもない言葉になったことをおわび申し上げます。
 まず1番目でございますが、湾岸戦争で命がけで掃海作業を終えて帰国する掃海部隊に対して、政府は国内事情から日の丸をおろして入港するように指示があったと言われております。人の命を鴻毛ほども思わない永田町に対して、他民族であっても心から供養する都市があったとき、どれだけ自衛隊員が勇気づけられるでしょうか。支那事変の後、中国兵の墓を日本兵がつくりました。これが侍の精神ではないでしょうか。どうぞ侍の精神に立脚し、温かい対応をお願いします。これは要望です。