神武天皇東遷






令和2年度予算委員会
P265社会教育振興費
◆岡崎委員 神武天皇東征が1月に日本遺産申請されました。申請が通れば、来年度祝賀行事が予想されますが、これまでの経緯と見通しを教えてください。

◎多田文化振興課長 神武東征伝説に関して申請に至った経緯というところで御説明をさせていただきますと、まず昨年度宮崎市、それから奈良県の橿原市を中心とした全国の22のゆかりの自治体が日本遺産の申請を行ったという経緯がございます。結果的には令和元年度の認定にはなっておりませんが、この22の自治体につきましては、改めて再度認定に向けてチャレンジをされるという動きがございまして、たまたま呉市のほうもゆかりの地があるという話を宮崎市等とする中で、一緒に認定を目指していこうということで、結果的には呉市を含めて、このたびは24の自治体で1月末に日本遺産の申請を行っておるところでございます。

◆岡崎委員 神武天皇がお立ち寄りになられた天応と神武天皇の道案内をしたヤタガラスと、それを祭った八咫烏神社の今回申請なんですが、神武天皇は風にあおられて下蒲刈三之瀬にも寄られております。蒲をお刈りになられたから蒲刈になったと言われております。三之瀬は対象にならなかったんでしょうか。

◎多田文化振興課長 確かに蒲刈地区のほうにもそういった伝承があるというのは承知をしておりますが、仮に日本遺産のほうに認定になりますと、神社とかそういったゆかりの建造物でありますとか場所でありますとか、そういったものをたくさんの方に見ていただくとか公開をしていくということが予想されます。蒲刈地区の場合はなかなかその辺まで、その場所の特定といいますか、その辺難しい部分がございましたので、日本遺産の構成文化財としては登録を今出しておりませんけれども、仮に認定になりましたら、またその辺も含めて広く発信をしていければなと考えております。

◆岡崎委員 伝承だけで建物がないということですが、ぜひ追加認定いただきまして、天応、宮原地区だけでなく島嶼部の観光についても拡大をよろしくお願いしたいと思います。
 宮原11丁目の八咫烏神社のゆかりは、ヤタガラスという3本足の鳥、バードではなく神武天皇の親衛隊、八咫烏一族の話ではないかと思われます。呉市の原住民と戦い、そのときに長男が戦死されました。亡きがらがからすこじまに埋められて、永遠に休まれたから休山になったと伝承があります。国造りに尊い供え物があったことを伝承として、御記憶いただければと願います。
 ところで、このことは呉市ホームページに載っていないんですが、どうしてなんでしょうか。

◎多田文化振興課長 現在、1月末に申請を行ったという段階でございますので、まだ広くは情報を出させていただいておりません。

◆岡崎委員 ぜひ機運を盛り上げるためにも載せていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。終わります。