航空機
平成26年 3月定例会 予算特別委員会
◆岡崎委員 では、213ページ、産業遺産調査事業、もう3人目でございますので、ちょっとだけお聞きします。「大和」の今収蔵資料22万点ございまして、展示できるのが2,000点で、展示率0.9%で、まだ資料を集められるのかという気がするんですが、今回の事業は資料を集めるのが目的なのか、それを整理してプレゼンするためが目的なのか、どちらがウエートが大きいのかだけちょっと教えてください。
◎笠井商工振興課長 この事業は、片岡委員にも御答弁しましたけれども、資料の調査研究で、収集よりは既存の資料とか、新たな資料の調査研究が主なものでございます。
◆岡崎委員 「大和」の砲塔、一つが2,500トンあります。私は護衛艦やまぐも、ミサイル護衛艦に乗っていたんですが、これ2,000トンですから、それよりもはるかに重いものを搭載して動かしておった、また「大和」の砲弾は着水したら横に走る、これは防衛秘密だったからちょっと言えないんですけれど、岩国米軍基地の中に航空博物館がございまして、海軍第11航空廠の飛行艇の写真が展示してございます。当時、日本の最高の航空機技術が呉に集結していたんだなということがわかるんですが、ここで「大和」の技術もいいんですが、ついでに余裕がありましたら、航空機技術の資料もついでに収集してもらいたいと思うんですが、いかがなものでしょう。
◎笠井商工振興課長 委員御指摘のとおり、呉市は航空技術も当時最先端であったと認識はしております。しかしながら、本事業につきましては、戦艦「大和」と造船技術に関して調査研究を行うものでございますので、「大和」に関連する航空技術に関しては、調査研究してまいりたいと思いますけれども、委員の御要望のように航空技術に関しては、今回は対象といたしておりません。
◆岡崎委員 今度は要望になるんですが、日本はアメリカよりも先にジェットエンジンを実用化しまして、ロケットエンジンも実用化いたしました。ジェットエンジン、ネ−20は松の根からとった油で動いておりました。このネ−20、少し前までIHIの呉工場にあったんですが、今田無工場に移ったということですが、何かさっきアメリカに行かれる話も聞きました。アメリカにこのジェットエンジンを積んだ日本の戦闘機「橘花」がございます。時間がありましたら写真だけでも撮ってきていただければと思うんですが、ついでにもともと日本の飛行機でございますし、私ら呉の技術者がつくった飛行機でありますので、できたら戻してほしいというのも一言言っていただいたらと要望いたします。
世界の空でアメリカがつくったジェット飛行機が飛んでおると思いますが、この日本のつくった「橘花」が恐らく影響を与えただろうと推察されます。本来であればありがとうございましたと、のし紙をつけて返していただいてもいいぐらいのものでございます。海も空もアメリカよりはるかにすぐれた技術を持っていたことをぜひ呉の子どもに伝えていただくよう取り組んで、来年度で無理でありましたら、その先でもいいですから、研究資料を集めていただければと思います。
では、次に行きます。1枚めくっていただいて215ページ、観光施設管理運営費についてお尋ねします。
平成22年度予算委員会
海事歴史科学館資料収集事業 P223 900万円
海事歴史科学館資料収集事業900万円についてお尋ねします。
岩国の米軍基地の中に航空博物館がありまして、この中に海軍第11航空廠の写真が展示してあります。そこで聞きましたら、呉こそが当時日本一の技術を持っておったというふうに説明があります。大和の技術も展示もいいんですが、航空機技術の資料も収集するべきではないかと思われますが、どうでしょうか。
津田産業部主幹 呉市で、特に広ですが、広の海軍工廠では、大正末期から、昭和の初期、昭和7年、横須賀に海軍の航空部門が移るまで、この間、海軍の特に水上機、飛行艇と呼ばれるものの開発は、日本で一番というふうに言われております。ただ、これは6月に産業部長のほうからもお答えしたんですけれども、空襲等で非常に資料が少ないんです。特に実物資料、機体とかエンジンとか、そういうものについてはほとんど残っておりません。東京の防衛研究所の図書館等に書類のほうがある程度残っております。現在、年に何回か調査に行っておりますが、書類の規模はまだわかっておりませんので、今後も調査に努めて、より充実した資料収集に努めたいと思っております。
岡崎委員 要望で終わりますが、ゼロ戦にグラマンは追いつけなかった、アメリカよりも先にジェットエンジンを実用化した、ロケットエンジンも実用化しました。日本は戦争に負けたために、航空機技術がつぶされましたが、もしつぶされなければ、世界じゅうの空に呉市で製造した航空機が飛んでいたかもしれません。少なくともエンジンはメード・イン・呉だったかもわかりません。ぜひこれは呉市の青少年の誇りにつながります。難しいと思いますが、資料を収集していただきたいと思います。
呉市は造船技術は世界一です。航空機技術も世界のトップを争っていたことを呉市の子どもたちに教えてください。元気が出ます。
終わります。
平成21年予算特別委員会
◆岡崎委員 岩国に考古博物館がありまして、そこには飛行艇の写真がありました。聞きましたら、広第11空廠の写真であるということから、またさらにお聞きしましたら、日本の航空機産業の礎を築いたのが呉市であるというふうなことをお聞きしたんですけど、そこのところどうなんでしょうか、教えてください。
◎津田海事歴史科学館学芸課長 広の第11航空廠ですね。もともと広のほうに呉の海軍工廠の支廠を大正10年につくりまして、大正12年に広海軍工廠として独立したところです。こちらのほうの特色としては、当時海軍がようやく力を入れ始めた航空機の研究をこの広の海軍工廠でやっております。当時は、航空機として、広の場合は特に飛行艇と海から飛び立つタイプの航空機を研究しておりまして、この研究は当時の海軍の飛行機部門としては最大のもので、また一番専門的にもすぐれたものであったと。残念ながら昭和7年ごろ、横須賀のほうに海軍の航空機の専門機関ができまして、そのころから広のほうの技術研究というのはややなくなりまして、専ら生産工場的なものになっていきますということです。
◆岡崎委員 ということから、呉市は当時トップの技術を持っておったということがありますので、こういったこともぜひ資料を集めていただいて、これこそが海も大和が制覇しましたけど、空も呉がトップの技術を持っておったということを知ることこそが呉市民の誇りでありますので、ぜひ今後も研究をいただきたいと思います。
ありがとうございました。終わります。